イギリスではなく、日本の話題ですが・・・。
厚生労働省が自宅療養している40~64歳の末期がん患者に、06年度から介護保険サービスを利用できるようにするための検討に入ったと2月16日に報道された。
詳しくはこちらを
<末期がん>介護保険適用を検討 自宅療養の40~64歳に(毎日新聞)
ふと、日本で受け持った患者さんを思い出した。Aさんは40歳代の女性で悪性腫瘍だった。
Aさんの受持ちになったのは私が就職して2年目の秋だったか。それから半年、Aさんが亡くなるまで受け持った。
治癒のための治療は不可能と診断され、Aさんにも「残された時間は限られている」と伝えられていた。
そして彼女は家に帰ることを望み、私たちもそれにむけ準備をし、近医の往診、献身的な訪問看護のおかげで約2週間家ですごすことができた。
状態が悪化し、再入院してきたAさんを迎えた時、私は思わず涙が出た。
ここまで状態が悪化しても在宅ですごすことができた近医のDr、Nsのサポートに感謝の気持ちでいっぱいだった。そしてAさんとの別れが近いことが明らかだったこと。
Aさんが亡くなる1週間前だったか。夜勤で巡視に行くと、Aさんが起きていたので私は隣に座って話をした。そのときにAさんが
「少しだったけど家ですごすことができて嬉しかった」
と家での様子を話してくれた。
しかし、そのあと
「でも、もっと精神的にサポートが欲しかった・・・」
と言われてしまった。
これを聞いた時、申し訳なさでいっぱいだった。
私もまだ未熟だった。緩和ケアの知識も乏しかったし、病棟も緩和ケア病棟ではなく、内科病棟だった。
忙しい勤務の中で、それでも一生懸命、自分のベストを尽くしたつもりだった。
「Aさんを家で過ごさせてあげたい」
その一心でスタッフみんなで頑張ったつもりだった・・・。
でも、私たちは結局Aさんの気持ちにまでケアが行き届いていなかったのだ。
翌週、Aさんは永眠された。Aさんが亡くなってから数週間、私は無気力になってしまった。
受持ち患者さんをなくしてしまった哀しみ。私は役立たずではないかというむなしさ。
もう仕事を辞めたいと思ったこともあった。
でも、時がたつにつれて徐々に哀しみから立ち直っていった。
そしてあることを思い出した。Aさんが私にいってくれたこと。
「やりたいことがあったら、やっておいたほうがいいよ。私もまだやりたいことがあったけど、こんな病気になっちゃったし・・・」
当時の私はイギリスが好きでロンドンに観光でちょこっときていたが英語なんてほとんど話せなかった。
それでも1回海外で生活してみたいな、なんてぼんやり考えていた。
仕事を辞めてイギリスにいってみようか・・・と思い始めた。
もちろん、イギリス行きを決めたのはAさんのことがすべてではないが、きっかけの一つにはなったと思う。
その時はこっちで看護師になるなんて無理だろう、と思っていて、在宅介護のボランティアだったら今までの経験も生かせるし、と1年イギリスに滞在したら日本に帰るつもりだった。
まあ、その後、いろいろありまして、現在に至るのですが。
なんだか介護保険の話から脱線してしまったが・・・。
要介護認定のシステムの迅速化、在宅ターミナルケアのシステム確立などなど、問題は山積みだけど、
「介護保険サービスが40~64歳の末期がん患者さんにも適応になる」
というのはターミナルステージにある在宅を望む患者さんの少なからず支えになると思うし、在宅ターミナルケアの発展にもつながるのではと期待している。
厚生労働省が自宅療養している40~64歳の末期がん患者に、06年度から介護保険サービスを利用できるようにするための検討に入ったと2月16日に報道された。
詳しくはこちらを
<末期がん>介護保険適用を検討 自宅療養の40~64歳に(毎日新聞)
ふと、日本で受け持った患者さんを思い出した。Aさんは40歳代の女性で悪性腫瘍だった。
Aさんの受持ちになったのは私が就職して2年目の秋だったか。それから半年、Aさんが亡くなるまで受け持った。
治癒のための治療は不可能と診断され、Aさんにも「残された時間は限られている」と伝えられていた。
そして彼女は家に帰ることを望み、私たちもそれにむけ準備をし、近医の往診、献身的な訪問看護のおかげで約2週間家ですごすことができた。
状態が悪化し、再入院してきたAさんを迎えた時、私は思わず涙が出た。
ここまで状態が悪化しても在宅ですごすことができた近医のDr、Nsのサポートに感謝の気持ちでいっぱいだった。そしてAさんとの別れが近いことが明らかだったこと。
Aさんが亡くなる1週間前だったか。夜勤で巡視に行くと、Aさんが起きていたので私は隣に座って話をした。そのときにAさんが
「少しだったけど家ですごすことができて嬉しかった」
と家での様子を話してくれた。
しかし、そのあと
「でも、もっと精神的にサポートが欲しかった・・・」
と言われてしまった。
これを聞いた時、申し訳なさでいっぱいだった。
私もまだ未熟だった。緩和ケアの知識も乏しかったし、病棟も緩和ケア病棟ではなく、内科病棟だった。
忙しい勤務の中で、それでも一生懸命、自分のベストを尽くしたつもりだった。
「Aさんを家で過ごさせてあげたい」
その一心でスタッフみんなで頑張ったつもりだった・・・。
でも、私たちは結局Aさんの気持ちにまでケアが行き届いていなかったのだ。
翌週、Aさんは永眠された。Aさんが亡くなってから数週間、私は無気力になってしまった。
受持ち患者さんをなくしてしまった哀しみ。私は役立たずではないかというむなしさ。
もう仕事を辞めたいと思ったこともあった。
でも、時がたつにつれて徐々に哀しみから立ち直っていった。
そしてあることを思い出した。Aさんが私にいってくれたこと。
「やりたいことがあったら、やっておいたほうがいいよ。私もまだやりたいことがあったけど、こんな病気になっちゃったし・・・」
当時の私はイギリスが好きでロンドンに観光でちょこっときていたが英語なんてほとんど話せなかった。
それでも1回海外で生活してみたいな、なんてぼんやり考えていた。
仕事を辞めてイギリスにいってみようか・・・と思い始めた。
もちろん、イギリス行きを決めたのはAさんのことがすべてではないが、きっかけの一つにはなったと思う。
その時はこっちで看護師になるなんて無理だろう、と思っていて、在宅介護のボランティアだったら今までの経験も生かせるし、と1年イギリスに滞在したら日本に帰るつもりだった。
まあ、その後、いろいろありまして、現在に至るのですが。
なんだか介護保険の話から脱線してしまったが・・・。
要介護認定のシステムの迅速化、在宅ターミナルケアのシステム確立などなど、問題は山積みだけど、
「介護保険サービスが40~64歳の末期がん患者さんにも適応になる」
というのはターミナルステージにある在宅を望む患者さんの少なからず支えになると思うし、在宅ターミナルケアの発展にもつながるのではと期待している。