ある日の夜勤、私の受け持つ病棟の患者さん達はみんな落ち着いていた。
まもなく23時半になろうかという頃、電話がなった。

「NHSの時間外サービスの看護師ですが、そちらに9日前まで入院していたマリー・スミス(仮名)さんをご存知ですか?」とのこと。

私は何度か受け持っていたのでマリーのことをよく知っていた。
マリーは脳腫瘍の患者さんで何ヶ月か前に数週間症状コントロールで入院し、その後退院して家で過ごしていた。しかし、数週間前に症状が悪くなったためターミナルケア目的で一時はホスピスに再入院したものの、旦那さんのたっての願いもあって退院して家に戻ったのだ。旦那さんはマリーが家で最期を迎える覚悟もしていた。

「実はマリーは先ほど亡くなりました。しかし、彼女のGP(かかりつけ医)がそちらのホスピスを退院後、一度も診察していないようなのです。ホスピスに入院中に彼女のGPまたは、そのGPの診療所の医師がホスピスを訪れているということはありませんか?このままだとマリーはGPによる死亡診断書が発行が法的には不可能なので、検死を受けなければならなくなるのです」

イギリスではホスピスなどの施設から退院後在宅で亡くなった場合、さかのぼって14日以内にその患者のかかりつけ医であるGPが診察していなければ、死亡診断書を記入することができず、検死をすることになるという。
ターミナルケアで在宅へ移行したにもかかわらず、家族も納得の上での在宅での看取りなのに検死を受けることになるなんて・・・・。

私は記録をチェックしすぐに電話をかけなおすといい、一旦電話を切った。
ホスピスに入院しているのであれば、GPが患者にわざわざ会いにくるというようなことはない。それでも、万が一の望みをかけてマリーの記録をチェックした。
残念ながら彼女のGPがホスピスへきたという記録はなかった・・・。

記録によるとホスピスの医師も看護師も彼女のGPと訪問看護師に電話でコンタクトを取っており、ターミナルケアでの在宅移行の承諾を得たとの記録があった。退院後には在院中の状況、退院処方などがかかれた手紙もGP宛に送られていた。

マリーは内服もできずシリンジドライバーという持続的に皮下へ注射できる機械とともに退院していた。これは24時間毎に薬液の詰め替えが必要だった。
そしてなにより、マリーの状態はかなり悪く、いつ亡くなってもおかしくない状況であった。
それなのに・・・。彼女のGPは一度も診察をすることなく、ホスピスからの退院処方をリピートして処方していただけだった。シリンジドライバーの詰め替えは訪問看護師がやっていたようだが。

夜勤師長ともマリーの記録を確認し、時間外サービスへ折り返し電話をした。
残念ながらマリーは検死を受けるため、家から一時間以上も離れた施設へ送られることになった。

イギリスではいつもNHS(ナショナル・ヘルス・サービス)の状態の悪さが目に付く。長いWaiting List、必要な検査・治療がすぐに受けられない。かかりつけ医であるGPにすら、調子が悪くてもその日の内に診察してもらうことができないなど・・・・。
そういえばつい最近、TV(BBC1)でNHSの病院の悲惨な現状が潜入したスタッフの隠しカメラによって取り上げられた。

もしかしたらマリーのGPはたくさんの患者を抱えてとっても忙しかったのかもしれない。
仮にそうだったとしても。マリーの死は予測できていた、14日以内に診察していなければ死亡診断書がかけないということもGPであれば知っていただろう。まして9日間、癌の末期である患者の診察をせずに同じ処方を繰り返していた・・・・。
マリーの為を思い、家で看取った旦那さんは、検死を受けなくてはならなくなってしまったこの状況をどう思っているのだろうか・・・・。
なんだかやりきれない気持ちで一杯だった。


後日、地方新聞の死亡告知欄にマリーのお葬式の案内が出ていた。
「マリーは自宅にて穏やかになくなりました。お葬式はXXで○日14時から行います。お花はお断りします、その代わりとしてホスピスへ寄付していただけると幸です。」