日本から戻ってきて時差ぼけのまま6日連続夜勤へ突入、いろいろあって忙しい日々も続いたが、ようやくほっと一息つくことが出来た。

今回、私が日本に帰った一つの理由に”お墓参り”がある。

このことについてはいろいろ悩むとこがあったので、ここに書くかどうか迷った。でも家族側の立場としての思いもあるので、気持ちの整理がついた所で書きこむことにした。

私の母方の祖母は今年の7月に肺癌でなくなった。

5月末、祖母の容態が悪化したときに私は運良く3週間の特別休暇をもらうことができたので帰国することが出来た。その3週間は祖母の容態は悪いながらも落ち着いていた。しかし、私がイギリスに戻って約2週間後に亡くなった。残念ながら亡くなったのが早朝で、日柄の関係でその日の夜に通夜、翌日お葬式だったので私はどう頑張っても間に合わなかったので帰国しなかった。

祖母は市民病院の内科病棟に入院していたが、あまりよい最期ではなかった。詳しく書くと、批判的なことになってしまうといけないのでここでは避けておきます。

母は最期の2週間ほど毎晩泊まりこんで祖母を見守った。祖母が亡くなったときに電話で話した母はひどく落ちこんでいて、言葉すくなだったがぽつりと言ったのが、
「人が死ぬことってあんなに大変なんだね。あそこまで苦しまなければいけないんだね・・・・。」
母は祖母の友人には安らかに亡くなったと話した。そうでなければみんな悲しむと思ったようだ。

病院にお金の清算にいったとき母は病棟に挨拶に行こうとしたそうだ。一言、お礼を言わなければ・・・と。しかし、祖母の最期のときを思い出してしまい、つらくなってしまった母はエレベーターに乗ることが出来なかった。

私は日本を離れるときに祖母の死についてはある程度の覚悟はしていたので、祖母の死の悲しむというよりも、母が深く傷つき、苦しんでいることのほうがつらかった。私はなにも出来ず申し訳なかった。
それからというもの、ターミナルの患者さんの家族の姿を見ると母の姿が重なった。母もこうしてベットサイドで泣きそうな顔で付き添っていたのだろうか・・・・。

ターミナルケアの重要性を身にしみて感じた。患者さんの症状のコントロール、安楽の確保の重要性。それは患者さんだけのためではなく、その家族のためでもある。患者さんの苦痛は家族の苦痛でもあると思う。私たちはそのことをけして忘れずに、患者さんも家族も同じようにケアしていかなければいけない、と思う。


日本にいたとき、母が一本のビデオテープを見せてくれた。題名は「お別れビデオ」だった気がする。
それは祖母のお葬式で流されたものだった。葬儀屋さんが作ってくれたものだ。
祖母の笑顔の写真、友達と旅行に行ったときの写真、カラオケ大会の写真、ひ孫を抱いた写真・・・。
何枚かの写真とともに「みな様のおかげで私は精一杯生きることが出来ました・・・」みたいなナレーションが流れた。(もちろん祖母の声ではないが・・・。)
祖母が作ったビデオではないとわかっていたが、きっと本人はこんなふうに言うだろうなあ・・・と思うと涙が出た。

お葬式では祖母の友達はこのビデオを見てみんな涙したらしい。まるで祖母が語りかけたかのような内容と一緒に映っていた写真をみて嬉しくて泣いていたそうだ。

このビデオは葬儀屋さんにしてみたら事務的なものかもしれないが、残された家族・友達の悲しみを少し癒してくれた気がした。