私は7晩連続夜勤をし、7日休みという勤務で働いている。
前回の夜勤初日、その日に入院してきたジャック(仮名)がいた。80代の男性で食道癌。
状態が悪化し、ターミナルケア目的の入院。
申し送りをした日勤スタッフが
「朝ジャックがいなくなっていても驚かないわ・・・」といった。
そのくらいジャックの状態はもう悪いらしい。

15年前に妻をなくしてからジャックは娘一家と同居、とても仲のいい家族らしい。
ずっと娘さんが介護していたが、状態の悪化により苦痛が激しく家での介護が困難になり入院となった。

申し送りが終わると、まずはジャックをみにいった。一目でもう長くて2・3日かもしれないというくらい状態が悪かった。Syringe DriverでDiamorphineとMidazolamが持続皮下注で投与されており、穏やかに眠っている。
ベットサイドには娘さん、3人の孫娘たちがいた。

「私は今晩はここに泊まります。孫達はどうしたらいいか・・・。」と娘さんに言われた。
孫娘たちはとても心配していてジャックの最期には絶対そばにいたいという。ホスピスと彼女たちの家の距離は車で45分。

「ジャックの状態はとても悪いです。いつなくなるかは誰にも分かりません。今すぐに、という状態でもなさそうですが、もう長くはないかと思います。今晩中に、というのもありえます。もしも、彼女たちがジャックの最期のときに側にいたいというのなら、ここにいたほうがよいかと思います」
という私の言葉に娘さんはショックを受けた様子だった。おそらく、状態が悪いと言うのは分かっていても、”今晩中”というのは受け入れられないのかもしれない。
それは孫娘たちも一緒だった。みんな泣き出してしまった。

残念なことにジャックは大部屋にいた。
他にも2人患者さんがいて、とくに彼らは物音に敏感だった。このまま4人の家族がここで話をしていたら彼らは眠れないだろう。しかし、ジャックの状態を考えると家族が側にいたいというのを邪魔したくはない。
それぞれのベットのカーテンを引いて、ついたてを立て、あらかじめ、ジャックの同室者には
「ちょっとうるさい夜になるかもしれないけど、ごめんね。」と謝っておいた。
こういうとき大部屋は不利だ。

ベットサイドにはリクライニングチェアとブランケット・枕を準備した。そして家族には交代で仮眠をとってはどうかと提案した。このホスピスには家族用のアコモデーションがあるのだ。そこにはベットルーム、バスルーム、キッチンもある。

真夜中、穏やかに寝ているようだったジャックは苦痛様の顔貌がみられ、四肢を動かし始めた。家族もジャックが苦しそうに手足を動かすたび、泣きそうな顔でジャックを抱きしめていた。
DiamorphineとMidazolamを追加で皮下注射した。
しばらくしてその効果が得られ、ジャックはまた穏やかに眠っているかのようだった。

それから数時間後。
もしかしたら「今晩中に亡くなるかもしれない」と言ったのは外れだったかもしれない、と考えていた明け方。ジャックのベットナンバーのナースコールが鳴った。
ベットサイドにいた孫娘2人が、ジャックの呼吸が変わったことを心配してナースコールを押したのだった。
ジャックは下顎呼吸になっており、まもなく逝ってしまいそうだった。
孫娘の一人が他の家族を呼びにいってくると家族用アコモデーションへ向かった。ベットサイドに残った孫娘は泣き出した。
ジャックの呼吸はすぐに浅くなりすぐにも止まりそうになってしまった。

しまった・・・と思った。孫娘2人をここに残して私がたの家族を呼びにいくべきだった。
私は「すぐに戻るから」とジャックに付き添っている孫娘に言いのこして廊下を急いで歩いた。
階段を上がるとちょうど家族が部屋から出てきたところだった。
私の姿を見た家族が走ってきた。
「ジャックはもう逝ってしまいそうです。はやく」といって急いで家族をジャックのベットサイドへと誘導した。

残念ながらジャックは息を引き取っていた。ベットサイドにいた孫娘は泣きながらジャックの手を握っていた。私は彼女を抱きしめて「ごめんね、一人にしちゃって・・・」と言った。
家族はみんな泣き、ジャックを抱きしめた。
私は「オフィスにいるので何かあったら声をかけてください」と言って退出した。
家族に最期のお別れの時間を十分にとってもらうためだ。

私の働くホスピスには夜間常在する医師がいない。
(もちろん患者の状態悪化などで医師に相談が必要な時は電話でOn-callのGPまたはコンサルタントへ連絡できることになっている)
そのために夜間の死亡の確認は看護師が行うのだ。
そして朝、週末の場合は月曜日の朝に出勤してきた医師によって死亡を再度確認し死亡診断書の発行となる。

私は死亡確認をするのに初めはとても抵抗があった。
日本では病院で働いていたから状態のの悪い患者さんには心電図モニターはみんなつけていたし、そのため心停止もモニターを通してみる事ができていた。
ここでは患者さんには心電図などのモニターもついていない。

30分ほどして娘さんがオフィスにやってきた。
少し落ち着いたようすだったので、今後のこと、死亡の手続きについて説明した。
そして今から家に帰るといった。まだ外は暗かった。

私は紅茶を作り、家族にラウンジで紅茶を飲んでから帰ってはどうかと勧めた。まだ動揺している孫娘が車の運転をするのが少し心配だったので・・・。
「落ち着くまでゆっくりとしていってください。コーヒーマシーンもあるからたくさん飲んでってくださいね」と言って私は病棟へ戻った。

その後、家族はずっとラウンジにいた。心配になり、のぞきに行ったがジャックの思い出話をしているようだったので、そっとしておいた。
家族が家路についたのはジャックが亡くなってから3時後だった。

別れ際、家族一人一人とHugし、声をかけあった。「ありがとう」と言われた。
私はジャックと家族の為に本当にいいケアが出来たのだろうか・・・。
ジャックは入院して1日もたたないうちに亡くなった。ホスピスに入院してくる患者で入院してすぐになくなるというケースは時々ある。
わずかな時間で家族との信頼関係を作る難しさをかんじる。

患者さんの死後の家族のケアはFamily support sisterに託される。病棟から家族関係、家族の受容状況などをまとめた書類を提出し、それをもとにFamily support sisterが連絡をとっていく。
患者さんの1年目の命日にはカードを送る。そうすることで家族から連絡があって近状も聞くことが出来る。
Family support sisterは患者さんの入院中も関わってくれる。
家族・親しい友人で、患者さんの状態の悪化や死に対して不安の強い場合、受け入れのできていない・ストレスを感じている、患者本人との関係に支障が生じてきた、患者さんの子供の精神ケアなどの場面で話し合う機会を持ってもらう。

8X年というジャックの人生のなで私が関わったのはたったの7時間。彼の人生の中で見たら、そんなのほんの一瞬にすぎない。一瞬だけど彼にとっても家族にとっても、とても大切な時間。
その大切な時間を有意義に過ごせるように援助できただろうか・・・。
自分ではいつもベストを尽くしているつもりだが、不安になることがある。
人はみんな感じ方も違うし、考え方も違うと思うから。そして亡くなった患者さんには当たり前だけど、どう思っているかなんて聞くことが出来ない。

自分の未熟さを感じる・・・。



PS.
後日この家族からお礼のカードとプレゼントが届いた。
なによりも、家族の気持ちを知ることが出来るのは嬉しい。
この仕事をしていてよかった、これからも頑張ろうという気持ちになる。