英国ホスピスコラム


イギリスの病院でマクミラン緩和ケア専門看護師
(Macmillan Palliative Care Clinical Nurse Specialist)として働くナースのブログ

2004年09月

日本へ

7晩連続の夜勤も今朝で終わり。今から日本に3週間いってきます!

私の場合、7夜勤・7日休みという勤務なので7日間Annual leaveを取ると3週間のお休みが作れる。今年にはいって3週間の休みを取るのは2回目だが、日本だったらこんなに休みは絶対にとれない。
この休みの取りやすさが私にはとっても魅力的。

今回の夜勤初日に私の大切な仕事のパートナーである”電子辞書”を壊してしまった・・・。
医学辞典の英和・和英も入っている優れものだった。
私の英語(特に読み書き)はかなりいい加減で、記録を書くときに電子辞書はスペルチェックも出来て重宝していた。その日も記録を書くときにつかって机の上に置いておいたら、肘で押してしまい、床にことん、と落ちてしまった。今まで何度も落としてきたが、びくともしなかったのに、あっけなくスクリーンが割れてしまった。
あまりのショックに言葉も出ず・・・・。

他のスタッフからは
「そんなに落ちこまなくっても、辞書なんてもう無くても大丈夫よ。」と慰められたけど。

アダプテーショントレーニングのときから電子辞書は、持ってるだけで安心する私にとってお守りのようなものでもあった。
まあ、”辞書に頼らず自分で何とかできるようにもっと英語を勉強しなさい”というお告げ?でもあったかも。それとも、”そんなに大切ならもっと丁寧に扱え”ということか・・・。
とにかく日本に帰ったら修理してこよう。

いつも日本に帰ると食べ過ぎ・飲みすぎで太って帰ってきてしまうが、イギリスに帰ってからまたダイエットすることにして、せっかくの日本滞在楽しんできます。笑顔

Soul Pain / Spiritual Pain

これは何ヶ月か前の話。
真夜中だった。突然ものすごい叫び声がホスピスに響き渡った。明らかに隣の病棟から聞こえてきた。声のしたほうへ行ってみた。

「ジョンの寝言なのよ・・・」とその病棟で勤務していた看護師は言った。
ジョン(仮名)は7X歳の男性。記憶は定かでは無いが、たしか大腸癌だったと思う。疼痛、嘔吐などの症状のコントロール目的で入院していた。
それにしてもかなりの声だった。ジョンの部屋は個室でその病棟の一番奥に位置しているのに、隣の病棟まで聞こえた。

ジョンは悪夢に時々うなされるのだが、内容は一切スタッフには教えてくれなかった。ようやく教えてくれたのは、その悪夢にジョンは何十年もうなされている、だからどうしようもないのだ、ということだった。
悪夢を見たあとのジョンはとても暗く落ちこんでいる。普段はお喋り好きでユーモアのある人なのに・・・。
私のことをチャイニーズガールと呼ぶが寝る前には彼の知っている唯一の日本語「サヨナラ」といつも言ってくれた。

スタッフとジョンで話し合い、TemazepamとHaloperidolを就寝前に内服してみることになった。
しかし、悪夢は再びジョンの睡眠を妨げた。
ようやく、ジョンは重い口をスタッフに開いてくれた。

彼の見る悪夢とは戦争の夢だった。ジョンは世界大戦の頃、戦場で何人もの人を殺したのだと言う。たくさんの仲間も失ったという。その本人の身体にも大きな銃創があった。
戦後からずっとその夢にジョンは悩まされつづけていた。

本人はそれ以上夢についてはほとんど話したがらなかったため、夜間セデーションの量を増やし、安眠を確保できるようにしていった。

しかし、徐々にジョンの全身状態は悪化していき、覚醒しているときのジョンは絶えず落ち着きが無くなり、ベットから身を乗り出したり。車椅子に座っては一箇所にとどまっていられず。
「Please help me, please help me....」と看護師の手をとって懇願するジョン。

病棟看護スタッフだけでなく、家族のサポート看護師、牧師もジョンと関わりを持った。彼を何十年も苦しめてきた戦争の悪夢とのかかわりもあり、本人も積極的には口にしたがらなかった。
このようなケースでは関わりがとても難しく感じた。

そしてOxyNorm(Oxycodone), Midazolam, LevomepromazineをSyringe Driverで持続皮下注開始された。ジョンが落ち着くまでは投与された薬品はかなりの増量が必要だった。そのくらい彼の苦痛は大きかった。
ジョンは数日後、投与された薬品により穏やかに悪夢に悩まされることなく眠るようになくなった。

ジョンの訴える苦痛はPhysical Pain(身体的な苦痛)というより、Psychological Pain(精神的な苦痛)、Soul PainまたはSpiritual Pain(霊的な苦痛)であったように思う。


このあいだ他のホスピスのSymptom managementの講習会にいってきた。講習会の最後のセッションでそこのホスピスで働くChaplain(牧師)がSoul Painについて話してくれた。

本
Palliative CareにおいてSoul Pain / Spiritual Painは死に行く患者がしばしば経験することで、主に次の2つの分野で苦痛を感じる。

・Life History 
 -やり終えていない事柄、過去に壊れてしまった人間関係、癒されていない傷、後悔、罪の意識、
  許し・和解・調停を必要としている 
・The individual in relation to his/her own death
 -死滅・消滅への恐怖、信仰、神

どのように症状は表現されるか?
・Open
 -Chaplainに”I want you to help me find peace before I die"と訴えたケース
・Veiled
 -身体的症状:呼吸困難感、胸部痛、不眠などを訴えたケース。

どのように関わるか?
・聞く
 時間をかける。ごまかさない。避けない。きっかけ・患者の訴えのヒントをつかむ。
・それらのことをよくすること・正しい方向へすることができないことも認める
 しかし、それについて話すことが患者にとって助けとなることもある
・前向きなこと、何が出来るかをみつける
 eg.家族関係において:メモリーボックスの作成。(残される家族へ患者の思い出として残す)
               疎遠になっていた家族への連絡。
   個々に:余暇を楽しむものを提供。宗教的な儀式、懺悔、お葬式の計画

(By Rev.J Davies at DOKH)

Soul Painはそれぞれの患者により根本にあるものが違い、表現のされかたが違うのでそれに対する関わり方も個別性が要求される。日本人とイギリス人の感じるSoul Painはまた違った面もあるかもしれない。また宗教が絡んでくると私は無宗教なので理解が難しい。

Soul Pain / Spiritual Painは完全に取り除くことは不可能なのかもしれない。簡単に答えは見つからないものだろう。
だからといってそこでほかっておいたり、あきらめてしまうのではなく、何かできることはないか、患者さんと話したり一緒に悩むことで、一緒に答えを探していくものなのかもしれない。

Soul Pain・・・考えれば考えるほど難しい。
こうして私の勉強はまだまだ続く、というかまだまだこれから・・・。

短いホスピス滞在のケース

私は7晩連続夜勤をし、7日休みという勤務で働いている。
前回の夜勤初日、その日に入院してきたジャック(仮名)がいた。80代の男性で食道癌。
状態が悪化し、ターミナルケア目的の入院。
申し送りをした日勤スタッフが
「朝ジャックがいなくなっていても驚かないわ・・・」といった。
そのくらいジャックの状態はもう悪いらしい。

15年前に妻をなくしてからジャックは娘一家と同居、とても仲のいい家族らしい。
ずっと娘さんが介護していたが、状態の悪化により苦痛が激しく家での介護が困難になり入院となった。

申し送りが終わると、まずはジャックをみにいった。一目でもう長くて2・3日かもしれないというくらい状態が悪かった。Syringe DriverでDiamorphineとMidazolamが持続皮下注で投与されており、穏やかに眠っている。
ベットサイドには娘さん、3人の孫娘たちがいた。

「私は今晩はここに泊まります。孫達はどうしたらいいか・・・。」と娘さんに言われた。
孫娘たちはとても心配していてジャックの最期には絶対そばにいたいという。ホスピスと彼女たちの家の距離は車で45分。

「ジャックの状態はとても悪いです。いつなくなるかは誰にも分かりません。今すぐに、という状態でもなさそうですが、もう長くはないかと思います。今晩中に、というのもありえます。もしも、彼女たちがジャックの最期のときに側にいたいというのなら、ここにいたほうがよいかと思います」
という私の言葉に娘さんはショックを受けた様子だった。おそらく、状態が悪いと言うのは分かっていても、”今晩中”というのは受け入れられないのかもしれない。
それは孫娘たちも一緒だった。みんな泣き出してしまった。

残念なことにジャックは大部屋にいた。
他にも2人患者さんがいて、とくに彼らは物音に敏感だった。このまま4人の家族がここで話をしていたら彼らは眠れないだろう。しかし、ジャックの状態を考えると家族が側にいたいというのを邪魔したくはない。
それぞれのベットのカーテンを引いて、ついたてを立て、あらかじめ、ジャックの同室者には
「ちょっとうるさい夜になるかもしれないけど、ごめんね。」と謝っておいた。
こういうとき大部屋は不利だ。

ベットサイドにはリクライニングチェアとブランケット・枕を準備した。そして家族には交代で仮眠をとってはどうかと提案した。このホスピスには家族用のアコモデーションがあるのだ。そこにはベットルーム、バスルーム、キッチンもある。

真夜中、穏やかに寝ているようだったジャックは苦痛様の顔貌がみられ、四肢を動かし始めた。家族もジャックが苦しそうに手足を動かすたび、泣きそうな顔でジャックを抱きしめていた。
DiamorphineとMidazolamを追加で皮下注射した。
しばらくしてその効果が得られ、ジャックはまた穏やかに眠っているかのようだった。

それから数時間後。
もしかしたら「今晩中に亡くなるかもしれない」と言ったのは外れだったかもしれない、と考えていた明け方。ジャックのベットナンバーのナースコールが鳴った。
ベットサイドにいた孫娘2人が、ジャックの呼吸が変わったことを心配してナースコールを押したのだった。
ジャックは下顎呼吸になっており、まもなく逝ってしまいそうだった。
孫娘の一人が他の家族を呼びにいってくると家族用アコモデーションへ向かった。ベットサイドに残った孫娘は泣き出した。
ジャックの呼吸はすぐに浅くなりすぐにも止まりそうになってしまった。

しまった・・・と思った。孫娘2人をここに残して私がたの家族を呼びにいくべきだった。
私は「すぐに戻るから」とジャックに付き添っている孫娘に言いのこして廊下を急いで歩いた。
階段を上がるとちょうど家族が部屋から出てきたところだった。
私の姿を見た家族が走ってきた。
「ジャックはもう逝ってしまいそうです。はやく」といって急いで家族をジャックのベットサイドへと誘導した。

残念ながらジャックは息を引き取っていた。ベットサイドにいた孫娘は泣きながらジャックの手を握っていた。私は彼女を抱きしめて「ごめんね、一人にしちゃって・・・」と言った。
家族はみんな泣き、ジャックを抱きしめた。
私は「オフィスにいるので何かあったら声をかけてください」と言って退出した。
家族に最期のお別れの時間を十分にとってもらうためだ。

私の働くホスピスには夜間常在する医師がいない。
(もちろん患者の状態悪化などで医師に相談が必要な時は電話でOn-callのGPまたはコンサルタントへ連絡できることになっている)
そのために夜間の死亡の確認は看護師が行うのだ。
そして朝、週末の場合は月曜日の朝に出勤してきた医師によって死亡を再度確認し死亡診断書の発行となる。

私は死亡確認をするのに初めはとても抵抗があった。
日本では病院で働いていたから状態のの悪い患者さんには心電図モニターはみんなつけていたし、そのため心停止もモニターを通してみる事ができていた。
ここでは患者さんには心電図などのモニターもついていない。

30分ほどして娘さんがオフィスにやってきた。
少し落ち着いたようすだったので、今後のこと、死亡の手続きについて説明した。
そして今から家に帰るといった。まだ外は暗かった。

私は紅茶を作り、家族にラウンジで紅茶を飲んでから帰ってはどうかと勧めた。まだ動揺している孫娘が車の運転をするのが少し心配だったので・・・。
「落ち着くまでゆっくりとしていってください。コーヒーマシーンもあるからたくさん飲んでってくださいね」と言って私は病棟へ戻った。

その後、家族はずっとラウンジにいた。心配になり、のぞきに行ったがジャックの思い出話をしているようだったので、そっとしておいた。
家族が家路についたのはジャックが亡くなってから3時後だった。

別れ際、家族一人一人とHugし、声をかけあった。「ありがとう」と言われた。
私はジャックと家族の為に本当にいいケアが出来たのだろうか・・・。
ジャックは入院して1日もたたないうちに亡くなった。ホスピスに入院してくる患者で入院してすぐになくなるというケースは時々ある。
わずかな時間で家族との信頼関係を作る難しさをかんじる。

患者さんの死後の家族のケアはFamily support sisterに託される。病棟から家族関係、家族の受容状況などをまとめた書類を提出し、それをもとにFamily support sisterが連絡をとっていく。
患者さんの1年目の命日にはカードを送る。そうすることで家族から連絡があって近状も聞くことが出来る。
Family support sisterは患者さんの入院中も関わってくれる。
家族・親しい友人で、患者さんの状態の悪化や死に対して不安の強い場合、受け入れのできていない・ストレスを感じている、患者本人との関係に支障が生じてきた、患者さんの子供の精神ケアなどの場面で話し合う機会を持ってもらう。

8X年というジャックの人生のなで私が関わったのはたったの7時間。彼の人生の中で見たら、そんなのほんの一瞬にすぎない。一瞬だけど彼にとっても家族にとっても、とても大切な時間。
その大切な時間を有意義に過ごせるように援助できただろうか・・・。
自分ではいつもベストを尽くしているつもりだが、不安になることがある。
人はみんな感じ方も違うし、考え方も違うと思うから。そして亡くなった患者さんには当たり前だけど、どう思っているかなんて聞くことが出来ない。

自分の未熟さを感じる・・・。



PS.
後日この家族からお礼のカードとプレゼントが届いた。
なによりも、家族の気持ちを知ることが出来るのは嬉しい。
この仕事をしていてよかった、これからも頑張ろうという気持ちになる。

最期の握手

前回の夜勤で、別の日に私はもう一人の患者さんの死を看取った。
リサ(仮名)は75歳で原発不明癌、多発性転移。腫瘍が見つかったが、リサは精密検査をうけていなかった。検査を受けなかったのは彼女が拒否したからではない。腫瘍が多数の臓器で見つかり、既に全身状態も悪かったので積極的治療することなく緩和ケアの適応になったようだ。

入院して数日の間にリサの状態はますます悪化していき、本人も捕らえどころのない苦痛を訴えていた。
身体のむきを頻回に変えてほしいという。それでも彼女は安楽は得られず、むしろ苦痛が増しているかのようにも見えた。Zormorph(持続性のモルヒネカプセル)を定期的に内服し、それでも疼痛があるときにはOramorph(モルヒネ水)で対処していた。また不安緩和やリラックスさせるためLorazepam(Benzodiazepine,ベンゾジアセピン)を投与して症状のコントロールをはかっていた。

やがて薬の内服も困難になりSyringe DriverでDiamorphineとMidazolam(ドルミカム)を持続皮下注することになった。
リサの旦那さんにもリサの状態が悪化していること、死は近いと言うことが伝えられた。

彼女には旦那さんはいたが、子供はいなかった。旦那さんはリサのことを
「とてもいい妻だ。でも、彼女は沈んで落ちこんでいることが多くかった」と言っていた。
けして仲の悪い夫婦ではない、と日勤スタッフは言っていた。

リサの旦那さんはリサがなくなるときはベットサイドにはいたくないと希望した。リサの意識が無いのならいる意味も無い、夜間の死亡時も電話連絡は朝にして欲しいと言われた。

家族の死に目に会わないと言うのは考えられないという人もいるかもしれない。
日本で働いていた時は肺癌で蘇生をしないとあらかじめ決めていても、亡くなったときに家族がいなかった場合は到着まで心臓マッサージ、人工呼吸をしたこともあった。

しかし、この1年ホスピスで働いていて最期のときベットサイドにいたくないという家族に何度か出会った。主な理由は元気だった頃、幸せだった頃を思いでとしておきたいから。最期の瞬間を思い出すのは辛くなるだろうから、などいろいろだ。
私たちは家族の意思を尊重し、患者の最期を看取る。

リサは私たち夜勤スタッフが出勤してきた時にはDeath rattle(死前喘鳴)の為に呼吸するたびゴロゴロと音がしていたが、顔は穏やかで眠っているようだった。Syringe Driver によって安楽は保たれているようだった。
このDeath ratteleにはHyoscine Hydrobromide(臭化水素酸ヒオスシン)またはScopolamine Hydrobromide(臭化水素酸スコポラミン)の投与が有効とされる。抗コリン作用により気管内分泌物の産生を抑制するためである。
私たちの働くホスピスではHyoscine Hydrobromideと同様の効果が得られるとされるため、まずはHyoscine Butylbromide(Buscopan)が使われ、無効の場合にHyoscine Hydrobromideを投与する、ということが多い。

大きな理由はコスト。Hyoscine Butylbromide(Buscopan)が1アンプル(20mg/ml)あたり20ペンスに対して、Hyoscine Hydrobromideは1アンプル(400mcg/ml)あたり2ポンド71ペンスもするのだ。
たった2ポンド50ペンスの差でなんてけちな・・・と思う人もいるだろうが、ホスピスでよく使う薬品だけに、年間の使用量・コストを考えるとかなりの額になってしまうらしく、効果が同じと言うのなら安いほうをまず使う、という感じ。

私は日本で呼吸器内科で働いていてたくさんの肺癌の患者さんを看取ったがこのDeath rattleに関しては薬品は用いた記憶がほとんど無い。痰吸引か体位変換で対処していた。
Hyoscine Butylbromide(Buscopan)は消化器系の疼痛に対して使っていたという記憶だったのでDeath rattleに対してはじめは本当に効果があるのかと不思議な気がした。
確かに効果のあった例もあるが、ほとんど変わらなかったたという例もある。
看護師によっても意見が分かれる。それにDeath rattleは完全に取り除くことができないこともある。

本人は意識が無いためDeath rattleは苦痛では無いとされる。家族によってはDeath rattleをとても苦痛に思い、みているのが辛そうだが、本人には苦痛が無いというのを説明し、理解を得るようにしている。

また体位交換(側臥位)するとDeath rattleが軽減することもある。
ホスピスでは痰吸引はほとんどのケースで行っていない。Death rattleは吸引では取り除くことができないばかりか患者にとっての苦痛が大きいため。

リサは夜の10時すぎ、下顎呼吸になっていた。もうまもなく、リサはまもなく最期のときを迎えるだろう。私は同僚の看護師に知らせて、ベットサイドの椅子に座った。
Auxiliary Nurseのジャッキーもベットサイドにやってきた。
リサの手を握って、ふと思った。人生の最期のときに旦那さんがそばにいなくて私たち看護師に看取られることをリサはどう思っているのだろう。
リサは旦那さんの意思を尊重しているのだろうか。それとも寂しく思っているのだろうか・・・。

だんだん呼吸が不規則になり、回数が減ってきた。リサはついに逝ってしまう、と思ったときに、リサの左手がゆっくりとかすかに動いていた。そしてその手を握っていた私の手をあたかも握り返すかのようにかすかに力がこもった。驚いてリサの顔を見るとかすかに動いた気がした。
そしてリサは息を引き取った。

同じようにリサの右手を握っていたジャッキーも私と同じ感覚を感じていた。
「まるで”最期にありがとう”って握りかえしてくれたみたいよね」とジャッキーは言った。
単なる筋肉の収縮だったのかもしれない。
でも、ジャッキーの言うようにリサが思ってくれていたらいいなと思う。
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