英国ホスピスコラム


イギリスの病院でマクミラン緩和ケア専門看護師
(Macmillan Palliative Care Clinical Nurse Specialist)として働くナースのブログ

ちょっと一息、イスタンブールへ

先週、彼が仕事でイスタンブールへ行くというので私もちょうどお休みだったので一緒にいってきました。

過去にトルコ人と交流はあったものの、トルコへ行くのは私は初めて。
イスタンブールの第一印象は・・・・車が多いし、みんな運転荒い!

飛行機の遅れでイスタンブールについたのは夜の11時半。既にホテル行きのシャトルバスはなく、たまたま居合せた同じホテルに宿泊予定の人たちとタクシーでホテルへ。

タクシーに料金メーターはあったものの、ホテルに到着し、料金はいくらかと尋ねると運転手ははっきりとした金額を言わない。
夜も遅いし、スーツケースもたくさんだから・・・などなど並びたてて多めの金額を言おうとする。
結局ホテルマンに妥当な金額を聞いて、運転手に渡した。

翌日、彼は仕事だったので私は一人で市内を探検することにした。
ガイドブックやインターネットの情報で
「イスタンブールでの女性の一人歩きは気をつけよう」
と聞いてはいたのだが・・・・。

ホテルのシャトルバスで市内について歩き出したとたん、トルコ人男性がよってくる、よってくる・・・。
「どこいくの?」「観光?」「案内するよ」
むこうは日本語、英語、トルコ語、ドイツ語を駆使。
私が無視してすたすた歩いてもついてくる、ついてくる・・・・。
100メートルも歩かないうちに5人以上はよってきた。
立ち止まって地図を見ようとすれば数人に囲まれてしまう。

その内の一人に「ブルーモスクはどこか」と尋ねると、連れて言ってあげるとのこと。結局、そのトルコ人:アハメットと一緒に歩いていると、誰も声をかけてこなくなったので、ほっと一息。

ブルーモスクは6つの尖塔をもつモスクで内部の壁は青と白のイズニックタイルで飾られていて、ステンドグラスもある美しいモスク。夜はこんな感じでライトアップされている。
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その後、アハメットに連れられてイェレバタン・サルヌジュ (地下宮殿)へ。
ここは昔地下貯水池だったところを今はライトアップして見学できるようになっているというもの。幻想的な雰囲気で素敵だった。デジカメで写真をとってみたものの、私のデジカメの性能もよくないせいもあって真っ暗けっけ。残念。

この後、アハメットに「自分の働く絨毯屋でお茶でも・・・」と言われたが、ホテルのシャトルバスの時間だったのでさっさと帰ってきた。(逃げてきた・笑)

次の日も私はまた一人だったのでめげずに市内観光へ。
前日同様、数人のトルコ人に付きまとわれるが無視をしつつ、トプカプ宮殿を目指しまっしぐら。
・・・のつもりだったが、やはり地図無しでは道が分からず、地図を広げてみたところ、2人のトルコ人に囲まれてしまった・・・。
いろいろ話しかけられてうっとうしくなってしまったので「トルコ人の友人をまっている」といってみたら
「その友達知ってるよ!昨日一緒に歩いていたアハメットだろ?やつの電話番号知ってるよ」と言うではないか・・・。
そして数分後、本当にアハメットがやってきた。これにはビックリだった。
結局またアハメットとともにトプカプ宮殿へ。

トプカプ宮殿は15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心であったところ。宮殿の周りには広大な庭園、帝国のクリスタル、銀、中国陶磁器のコレクションの展示館。スルタンの多くの妻たちと子供たちが暮らしたハーレムをみてまわった。

そしてアハメット行きつけという地元の食堂みたいなレストランでお昼ご飯をたべた。チキンと野菜を煮込んでライスと一緒に食べると言うものでなかなか美味しかった。

ここで、もうアハメットの友人、メテに出会った。彼は日本語ぺらぺら。日本人の奥さんがいたそうで、今も日本とトルコ間を往復しながら絨毯・キリムの仕入れ・販売をしているそう。
そしてメテのお店に遊びに行き、チャイとアップルティーをご馳走になる。
メテにトルコの絨毯、キリムを見せてもらって。
・・・までは良かった。

私は「絨毯やキリムは買う気はない。」と言っておいたのだが、「安くするから買わないか。」「絶対にお買い得だから」ととってもとっても熱心に勧められた。
「私はイギリスで働いていて給料は日本の半分。日本からやってくる旅行者みたいにリッチじゃないの。」って断わっても断わっても、相手も負けない。
結局「明日もう一度見に来るから」という約束で店を脱出。(笑)

さあ、ホテルに帰ろう。と思ったところでアハメットが
「僕は女性に対してはとても臆病なんだけど、君の瞳を見た時から僕のハートは熱くなって。君の瞳も何かを語っている・・・」等と言い、手を握ろうとするではないか。

アハメットにはあったときから
「私の夫が仕事でイスタンブールへきたので一緒にきた」(←大嘘)と言っておいた。
そして、左の薬指に結婚指輪らしきものもしておいたのだ。
*参照:インターネット情報 トルコでイヤな目に会わないために(笑)

「私結婚してて、旦那もいるんだけど・・・」というと
「you never know future」って・・・。
「So you never know future, you may find nice girl tomorrow!」
っていい返すとおとなしくなってくれました。やれやれ。

後であったトルコ人の友達に聞いた話ではこういった観光地で話し掛けてくる人たちはほとんどが絨毯屋などの関係者で、仲良くなった後、言葉巧みに絨毯屋へ連れていき買わせたりすることもある。
ひどいケースではぼったくり、なんてこともあるとか。
また、あわよくば、、、、と考えている男性もいるから気をつけてよ、と言われた。


3日目は彼も仕事をおわらせたので、一緒に観光へ。イスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を隔ているボスポラス海峡のクルージングに参加した。
あまり画像が鮮明ではないけど、アジアとヨーロッパを結ぶ橋。橋のむこうに見えるのがアジア側。
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海岸にはいくつかの宮殿をみることができ、またお金持ちが住んでそうな豪邸もあった。
アジアに間だ足を踏み入れたことのない彼は、すごーく楽しみにしていたのだが・・・。船は数分アジア側に停泊したのみ。彼にとっては貴重な数分のアジア滞在でした(笑)

その後、スパイス・バザールへ。たくさんの香辛料を扱う店がそろっている。ほかにもジュエリーやトルコのお菓子のお店、小物を扱う店などみてまわるだけでも楽しい。
しかし、トルコ人の皆さん、とても商売熱心です。

この日、市内からタクシーでホテルへ帰った。タクシーのメーターはおよそ23,000,000トルコリラ。彼がおつりを5,000,000トルコリラもらって後はチップでいいといっていたのだが。
(ドアの取っ手が外れてしまったので、チップをあげなくてはと思ったそうだ。←運転手にはナイショ)
実は後になって彼が40,000,000トルコリラ運転手に渡していたことが判明。つまり、10,000,000トルコリラ誤魔化されてしまったのだ。
トルコリラは0の数が多くて分かりにくい。しかも0を6個省略したお札も出まわっているので外国人には本当に分かりにくい・・・・。

4日目は市内観光バスで、市内を一周。日本語の観光案内付。
旧市街から新市街へ向い、イスタンブールを囲む大昔に作られた城壁をまわって旧市街へ戻ってきた。イスタンブールは建物が密集している。そして交通量もすごく、渋滞に巻き込まれ、予定をはるかにオーバーして終点に到着。

そして、お目当ての旧市街にあるグランドバザールへ。
ここは4000点もの店が集まる屋根つきのバザール。絨毯、キリム、銀細工、トルコの陶器、ジュエリー、バック、服、などなど。買い物が好きな人にはたまらない。
また、ここでは値段は交渉次第。値切って値切って買うことも出きる。
いっぱい買ったり、現金で払うというとわりとみんなすぐに値下げする。
(もともと高い値に設定しているのかも・・・。)

彼が絨毯を買いたいというので、絨毯屋さんへはいると、たくさんの絨毯が丸めておいてあった。私たちにソファーに腰掛け、チャイかアップルティーを勧めてくれた。
色や柄の好みを伝えると店員さんが広げて見せてくれる。すべて手作りということで同じ柄はないらしい。お気に入りの絨毯をみつけたら値段交渉。このやり取りもけっこう楽しめるかもしれない。
なんとか半額近くまで値切り、交渉成立!
しかし、後でトルコ人の友達にはそれでも高いと言われたケド。
絨毯はけっこうお値段がするのに店員さんは土足でふんずけていた・・・。ちょっとオドロキ。

その後、カバン屋さんをのぞく。ここで赤い革のハンドバックを発見!これを私は一目で気に入ってしまった。
彼も仕事用に革のカバンを買うという。2つのカバンを買うということで値段交渉開始。
30%ほど割引してくれたが、それ以上は相手もなかなか譲らないが、私の彼も譲らない。
ここでも交渉中、チャイかアップルティーはどうかと進められた。
「キミもこのカバン気に入ったよね?彼にこの値段で買ってくれるようにお願いしてよ。」
と、むこうは私に助けを求めてきた。
「私もこのカバンすっごく気にいったの。だから安くして♪」
とお願いすると、若干値を下げてくれて交渉成立。

ほかにもカラフルにペイントされた器を購入して、お買い物終了。
2人で歩くと、みんな彼の方へ「○○買わないか?」「彼女にこれはどうだ、あれはどうだ」
と話しかけるので私はけっこう楽ちんだった。

この日の夜は私のトルコ人の友達とその彼氏とみんなでご飯を食べにいった。
前菜はピラフのようなものをキャベツでつつんだ冷製のドルマ。
メインはひき肉と香辛料を使ったハンバーグを薄くしたみたいなキョフテ、そしてラム肉をグリルでじっくり焼いたもの。
そして名前はわからないが友達お勧めのデザート。
トルコ料理は日本人にけっこうあうかもしれない。
その後、ホテルのバーへいきトルコのお酒ラキ(ラク?)を飲む。これがけっこう強いお酒だった・・・。


次の日、帰国のため空港へ。まず、入り口でセキュリティーチェック。
そして航空会社のチェックインカウンターで待たされること30分。ようやくやってきた係員にパスポート、UKビザ、荷物のチェックをされる。私たちの前にいた東南アジア系のビジネスマンは名刺を見せろと言われていた・・・。
一人一人、こんなに念入りに調べていて飛行機は定時に飛べるのだろうか?と疑問になるくらい。
出国時にまたもセキュリティーチェック。
出国する人に対してここまで厳しいのは何故???

ほんの数日だったけど、楽しいイスタンブール滞在を終えて、イギリスに戻ってきました。
でも、イスタンブールに女性一人で行くのはあまりお勧めでないかも・・・。

私のデジカメでは、いい写真がほとんどなくって、いろいろお見せできず残念。やっぱりちゃんとしたデジカメ欲しいな。

介護保険サービスが40~64歳の末期がん患者さんにも適応に・・・!?

イギリスではなく、日本の話題ですが・・・。

厚生労働省が自宅療養している40~64歳の末期がん患者に、06年度から介護保険サービスを利用できるようにするための検討に入ったと2月16日に報道された。
詳しくはこちらを
テレビ<末期がん>介護保険適用を検討 自宅療養の40~64歳に(毎日新聞)

ふと、日本で受け持った患者さんを思い出した。Aさんは40歳代の女性で悪性腫瘍だった。
Aさんの受持ちになったのは私が就職して2年目の秋だったか。それから半年、Aさんが亡くなるまで受け持った。

治癒のための治療は不可能と診断され、Aさんにも「残された時間は限られている」と伝えられていた。
そして彼女は家に帰ることを望み、私たちもそれにむけ準備をし、近医の往診、献身的な訪問看護のおかげで約2週間家ですごすことができた。

状態が悪化し、再入院してきたAさんを迎えた時、私は思わず涙が出た。
ここまで状態が悪化しても在宅ですごすことができた近医のDr、Nsのサポートに感謝の気持ちでいっぱいだった。そしてAさんとの別れが近いことが明らかだったこと。

Aさんが亡くなる1週間前だったか。夜勤で巡視に行くと、Aさんが起きていたので私は隣に座って話をした。そのときにAさんが
「少しだったけど家ですごすことができて嬉しかった」
と家での様子を話してくれた。

しかし、そのあと
「でも、もっと精神的にサポートが欲しかった・・・」
と言われてしまった。

これを聞いた時、申し訳なさでいっぱいだった。
私もまだ未熟だった。緩和ケアの知識も乏しかったし、病棟も緩和ケア病棟ではなく、内科病棟だった。
忙しい勤務の中で、それでも一生懸命、自分のベストを尽くしたつもりだった。

「Aさんを家で過ごさせてあげたい」
その一心でスタッフみんなで頑張ったつもりだった・・・。
でも、私たちは結局Aさんの気持ちにまでケアが行き届いていなかったのだ。

翌週、Aさんは永眠された。Aさんが亡くなってから数週間、私は無気力になってしまった。
受持ち患者さんをなくしてしまった哀しみ。私は役立たずではないかというむなしさ。
もう仕事を辞めたいと思ったこともあった。
でも、時がたつにつれて徐々に哀しみから立ち直っていった。

そしてあることを思い出した。Aさんが私にいってくれたこと。
「やりたいことがあったら、やっておいたほうがいいよ。私もまだやりたいことがあったけど、こんな病気になっちゃったし・・・」

当時の私はイギリスが好きでロンドンに観光でちょこっときていたが英語なんてほとんど話せなかった。
それでも1回海外で生活してみたいな、なんてぼんやり考えていた。

仕事を辞めてイギリスにいってみようか・・・と思い始めた。
もちろん、イギリス行きを決めたのはAさんのことがすべてではないが、きっかけの一つにはなったと思う。

その時はこっちで看護師になるなんて無理だろう、と思っていて、在宅介護のボランティアだったら今までの経験も生かせるし、と1年イギリスに滞在したら日本に帰るつもりだった。
まあ、その後、いろいろありまして、現在に至るのですが。


なんだか介護保険の話から脱線してしまったが・・・。
要介護認定のシステムの迅速化、在宅ターミナルケアのシステム確立などなど、問題は山積みだけど、
「介護保険サービスが40~64歳の末期がん患者さんにも適応になる」
というのはターミナルステージにある在宅を望む患者さんの少なからず支えになると思うし、在宅ターミナルケアの発展にもつながるのではと期待している。

不思議な出来事

今、私は仕事の合間に大学の緩和ケアのショートコースに行っている。
もともと私はアカデミックな人間ではない上に、英語もあやしく・・・・。もちろん、勉強できるのは嬉しいことだけど。
週1回とはいえ1日大学へ行くと、年老いた脳みそがフル活動してエネルギーを消費しているって感じで、帰ってくるととっても疲れる・・・・。
なので、今回は堅い話題はやめにして(笑)最近あった不思議な出来事についてのお話。

リアン(仮名)は8X歳の女性で転移性の乳癌だった。リアンはとてもにこやかで、お茶目でかわいらしい人だった。
「あらダーリン、今日も夜勤?大変ね。」「あと2晩夜勤したらお休みよ、頑張って」
「おとなしく寝て、あなた達に迷惑かけないようにするからね」
なんて冗談っぽくいったりして。

症状コントロール目的で入院してきたリアンだったが、症状のコントロールがついてきたころには家に帰るのは少し無理があるから、とナーシングホームを探しているうちに状態が悪化し、ターミナルケア目的でホスピスで最後を迎えることになってしまった。

リアンはSyringe Driverで症状コントロールし苦痛のない状態で、意識レベルも低下し、このまま眠るように息をひきとりそうだった。

朝になり、日勤スタッフもやってきて、申し送りをしていたその時。
廊下のライトが突然パカパカと数回点滅し、いつも空けっぱなしになっている病棟の入り口のドアが誰も触れていないのに閉まった・・・。

奇妙な現象にみんな不思議がっていが、私ともう一人の夜勤スタッフの頭に浮かんだのはリアンのこと。慌てて部屋に行くとリアンはちゃんと息をしていた。
私たちの気にし過ぎだったのかな?といってリアンにサヨナラをいって私たち夜勤スタッフはその日の勤務を終えて、帰った。

そしてこの10分後、リアンは日勤スタッフに見守られて息を引き取った。
もしかしたらリアンは私たち夜勤スタッフが帰る前にもう一度会いたかったから、「まだ帰らないで」ってドアを閉めたのかもね、なんて考えたり・・・・。


もう一つは私の働いていた隣の病棟でおこった話。
ターミナルケア目的入院のニーナ(仮名)という患者さんがいた。家族は事情があって付き添っていられなかったが、「なにか変わったことがあったら電話で知らせて欲しい」とスタッフにお願いしていたそうだ。

夜中の1時か2時ごろだったか、電話が鳴った。ニーナの家族からで
「たった今、電話が1・2回鳴ってホスピスの番号がディスプレイにでたのだけど、電話しましたか?母に何かあったのかと思って・・・」といわれたらしい。

同僚の看護師のへレンはちょうど10分ほど前にニーナの様子を見にいっていて、状態は悪いものの特に変わりはなかったし、電話もしていない。もちろん、他のスタッフもしていない。

ヘレンは家族に10分前に様子を見にいったときは変わりなかったが、ちょっとみてくるといって電話をおいてニーナのところへいったら、なんとニーナは既に息を引き取っていたそうだ。


非現実的な話だけれど、”魂”やこういった不思議なことを起こす”人の思い”って存在するのかもしれない。きっとみなさんもこんな経験あるのではないでしょうか?


キラキラおしらせキラキラ
エキブロメディカルの病院ベッドサイド・ストーリー集にトラックバックさせていただきました。

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とっておきの話。日々の小さな話。悩んだ話。読んだり訊いたりした伝えたい話。あなたの体験をもとにした話。すこしでも多くのひとの目にふれますように。
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Shortfall of Diamorphine

年末にTVや新聞などのニュースで目にした人もいると思うが、現在イギリスでDiamorphineの供給不足が懸念されている。
イギリス内のDiamorphineの供給の約70%を占める主要会社が供給を中断するためである。

詳しくは下記のニュースを参考に・・・
テレビMedical News Today : Diamorphine supplier liases with UK Dept of Health to sort out shortage
テレビBBC NEWS : NHS painkiller shortage warning
テレビDepartment of Health : Guidance on use and supply of diamorphine

Diamorphineは緩和ケア、ICU、A&Eなどで鎮痛に用いられる麻薬。特に緩和ケアにおいては使用頻度は高い。Diamorphineは水溶性が高いので、少量の溶液で投与することが可能なためである。
内服が困難な場合などで、Syringe Driverと呼ばれる持続皮下注射の機械で投与するときに、よく選択される麻薬でもある。Syringe Driverは日本の文庫本ほどの大きさの機械で、10MLまたは20MLの注射器に薬品を詰めてセットし、翼状針を上腕、大腿、胸部などの皮下に挿入し、持続皮下投与を行うことができる。

このニュース以来、私の働くホスピスも変化があった。Diamorphineではなく、OxyNorm(Oxycodone)が使われるようになった。Oxycodoneは効果も副作用もモルヒネと似ている。大きな違いはDiamorphineは少量の注射用水などで溶解して大量のDiamorphineが投与できるのに対し、OxyNormは1ml中10mgのOxycodoneが含まれているため、Syringe Driverで少量のOxyNormを投与するときはいいが、大量に投与しなければならない場合、問題が出てくる。

例えば患者さんの痛みが強く大量の麻薬をSyringe Driverで投与したい時。24時間に200mgのDiamorphineをSyringe Driverで投与したい時、他の薬品を加えても10mlの注射器に薬品を詰めてSyringe Driverにセットすることは可能。しかし、OxyNormの場合、24時間に200mgとなると容量は20mlにもなり、他の薬品を加えて投与したい場合、とても20mlの注射器には詰めきれない。Syringe Driverを2台使用するか、半量をセットして12時間毎に詰め替えていくことになる。(たいていは24時間毎に詰め替えている)

また薬品を準備するとき200mgのOxyNormを使うとなると20アンプルも必要になり、アンプルカットするのも手間がかかることになる。(OxyNormは1アンプル中10mg。Diamorphineは5,10,30,100,500mgのアンプルがある)

早く十分なDiamorphineの供給がされることを願うばかりだが、なによりも患者さんがこのために苦痛を受けることのないことが最も重要。

参考Website : NetDoctor.co.uk
注射Diamorphine
注射OxyNorm

最後のNew Year

昨日は2005年初仕事だった。同僚の夜勤スタッフがとても興味深い話を教えてくれた。

ベン(仮名)は60代の男性で年末にターミナルケア目的で入院してきた。転移性の大腸癌と診断されたのはなんと2004年11月。急激な体重減少と体調不良で本人もなにかシリアスな病気なのでは・・・と考えてはいたらしい。
ベンは食欲もなく、吐気もするので食事はほとんどとれず、水分をとるのがやっとというかんじだった。

大晦日の夜、ベンは夜勤スタッフに
「12時になる前におこして欲しい。自分にとってこれが最後のNew Yearになるから・・・」
とお願いしたそうだ。
そして約束通り12時前に夜勤スタッフはベンを起こし、New Yearを知らせる鐘が聞こえるように窓をあけ、シャンパンでみんなで乾杯したそうだ。ベンも少しだけだったがシャンパンを嬉しそうに飲んだらしい。
ベンは「ありがとう。」といって微笑み、そして眠りについたそうだ。

「最後のNew Year」と言ったベンの心の中はきっとたくさんの思いを抱えていたに違いない・・・・。
プロフィール

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